舞鶴のカトリック教会の歩み

 

 舞鶴の地でカトリックの布教が本格的に始まったのは、1888年(明治21年)、パリ外国宣教会のルイ・ルラーブ神父が山陰地方の布教を命じられた時からである。

 神父は1885年に来日し、京都三条河原町教会で助任司祭をしながら日本語を習い、その後若狭と丹後に行き、多くの苦難を乗り越えて3年後の1891年(明治24年)、ようやく舞鶴の職人町広小路の民家を借り、そこを仮聖堂に定めたのであった。

このとき以降、明治、大正時代に舞鶴に派遣された歴代の神父たちは、偏見や妨害の苦労を耐え忍びながら、地域の官民との交流を図り、根気よく布教を続けたので、徐々に理解者を得、求道者と信徒も増えていった。

 この間の1908年(明治41年)には、現在のレデンプトール会舞鶴修道院がある土地を購入して現教会の基礎がつくられた。

 やがて昭和に入ると、舞鶴裁縫女学院、聖母幼稚園の創立などを通じて、地域の文化や教育にも貢献するようになった。そして1932年(昭和7年)にこれらの教育分野の担い手として、訪問童貞会(現、聖母訪問会)のシスター達が招かれ、舞鶴に修道院を設置し、今日に至るまで丹後地域の宣教に従事してきた。

しかし、太平洋戦争中は教会の諸施設は軍に占拠されたり取り壊しに遇うなど大きな打撃を受けた苦難の時代であった。

 終戦後の1948年(昭和23年)、舞鶴から丹後の地は、カナダのトロントに管区本部を置くレデンプトール修道会が司牧することとなり、山陰管区として初代管区長フーラー神父以下十数名の司祭が来日し、舞鶴にその本部が置かれた。

 1951年(昭和34年)、レデンプトール会の修道院が新築されるとともに、修練院が設置されて受洗者も増加していった。

 1981年(昭和56年)、西舞鶴教会をはじめ丹後地域の教会は、トロント管区に代わって、ケベック管区(セントアンドボーブレ管区)の所管となって現在にいたっている。

 

        ルラーブ神父


1954年(昭和29年)教会聖堂 (右)家屋は旧伝導舘

コンクリート塀の内に司祭舘

        フーラー神父


1957年(昭和32年)の新聖堂(左)と旧聖堂(右)

 

2000年(平成12年)の聖堂(左)と新修道院(右)

現在のカトリック西舞鶴教会

現在のレデンプトール修道院