10月23日 更新

 

丹後教会巻頭言記事

「死から命へ」        202311/1

トマス頭島光神父

 

◆命の賜物

私たちはみな、神様からこの命をいただいて生きています。どう生きるかは、すべて私たちに任せられています。自由気ままに生きようと、神の従って生きようと、それは全くあなたの生き方に刻まれているからです。パウロは、こんな風に言っています。「もはや、わたしが生きているのではなく、キリストがわたしの内に生きている」(ガラ2:20)と。彼はいただいたこの命をすべてキリストに託しているということです。このような命のあり方をみて、私は「命の賜物」と呼びたいのです。この命は、もはや私のものでなく、神のものなのです。

◆地に落ちて死す

この命、「地に落ちて死ななければ、ただ一粒のまま残る」(ヨハ12:24)。イエスのことばである。文字通り、イエスは自らの命を父なる神にささげ、十字架にかけて死なせました。そして、多くの実を咲かせたのです。いただいた命を、文字通り、神のために全て捧げていく生き方、イエスは御子として示されたのです。これは死から生へ蘇られたのであり、生から死の道とは全く別物でした。いかにして自分に死すか、これが求められていたのです。このように死の神秘は、計り知れない神の恵みに属する事柄であり、多くの実を結ぶのです。ですから死は、決して永遠の闇でも、罪の結果でもないのです。

◆永遠の命

神は《命の木》を園の中央に生え出でさせられた、と創世記に記しています。私たちはみな、このことを知っています。つまり、人は死んでも生きるということを。イエスは言われました。「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」(ヨハ6:51)と。神は人間の罪の結果として死をもたらされましたが、それは、永遠の命に至る道だったのです。

◆命の価値

人の命が尊いことは、それが生きた賜物だからです。言い換えれば、神からいただいた命であることを、人間だけが知恵と知識によって、知っているからです。このことに気づくか否かにかかわらず、大切に守らねばなりません。しかし、人間は人類史上常にこれを蔑ろにしては無駄に死なせてきたのです。今も尊い命が、人の欲と力によって奪われ続けています。尊い命の価値に気づき、命の破壊をやめさせるべきです。愚かな欲の思いを捨て去り、真に生きることの喜びと愛することによって、一人一人が幸せのために生まれてきたことを疑うことがないように。祈りましょう。

◆恵みとしてのいのち

イエスさまがお示しくださった十字架の道を辿りながら、死から復活の道を確かに生きるために、私たちは信仰に生きることを決めています。たとえ、死が最後の時を伝えたとしても、私たちは神と共に永遠の命を生きること、復活の時を迎えられることを信じて生きているのです。イエスは言われました。「わたしを信じる者は、たとえ死んでも生きる」(ヨハ11:25)と。先に召されたわたしたちの兄弟姉妹が、永遠に神と共に生きていて、神の身許で安らいでいることを信じて、故人となった方々のためにご冥福を祈りましょう。

◆死者の月

言うまでもなく、11月は死者の月です。静かに夜が更けるように、霊と共に心鎮める時節です。静かな沈黙の時を保ちましょう。祭壇の前に身をおいて、静かに時を過ごしましょう。縁深い亡くなったみ霊を思い起こし、その永遠の安らぎを願いながら、いつかまた神と共に相まみえるその時まで、世界の平和を祈ります。

 

 

結婚には、三つの秘儀がある。

一つは出会いから始まる秘儀です。そして、第二に、一つになることの秘儀。最後に、持続することの秘儀ということです。その一つ一つについてお話する前に、結婚に関する基本的なこととして押さえておくべき大切なことは、交わりです。交わりとはコミュニケーションする技能のことであり、能力です。切れることがないように、しっかり相手の思いを聞くこと。次に、大切なことは応答することです。ただ聞くだけの人になってはなりません。いつかではなく、いま行動することです。これはお互い様であって、決して一方通行に陥ってはいけません。常に双方通行であることが求められます。このように、相手のことに耳を傾け、よく聞いたうえで、これをそく実行し、互いの思いを満たすこと。これが交わりの大原則です。

さて、この交わりの大原則を忠実に果たすことを前提にして、第一のキーワード。出会いです。それはもう終わった、というなら、実はまだ終わってないのです。新たなあなたを見出し、新しいあなたにまた出会うことだからです。出会いとは、つまり新しいあなたの発見なのです。実際、私たちはまだ自分自身すら、よく知らないのですから、ましてや、他人であなたのことを一朝一夕に分かるはずがありません。これもお互いです。お互いない、日々の生活を通して分かり合っていく、出会い合っていくこと、理解と和解の連続が結婚生活ということなのです。

二つ目は、二人が一つになることです。二つのものが交わって一つになる。そんな簡単なことではありません。でも、これを成し遂げるのが、ああなた方のこれからの大きな課題であり、人生の目標なのです。一に、一を足すと、二になるのは数字上の話です。二人は一人ずつがあって、そこにいるのであって、絶対に一つではありません。それでも一つになりたいと、なぜ人は考えるのでしょう。もし、本当に一つになれれば、二人は永遠に一つでいられる。それが真の幸せと知っているからです。一つになるには愛しかありません。愛が二人を一つにする力なのです。二人が同じ方向を見て、最後まで生きること。それが結婚です。

最後のワードのそれです。永遠に持続させる、愛を一点に集中させることができるなら、中途で決して折れない、切れない、終わらない。それが結婚の秘儀なのです。

新たに出会いを体験し、新しいあなたと一つになり、この愛を終わらせないで、最後まで生き抜くこと。これを結婚と言うのです。お二人はまだそのスタートラインに立っただけです。お二人の長い旅は、いまここから始まるのです。新しい命も生まれるでしょう。新たな苦難も始まることでしょう。勿論、楽しいこともあるでしょう。悲喜こもごも、様々な体験と出会い、そして悲しみと苦難の連続。それでもあきらめない、二人で居続けることの喜びを求めながら、最後まで愛をはぐくみ、幸せな家庭を目指して、歩み続けてください。神様は必ずあなたがたの道しるべとなって、照らしてくださることでしょう。

 

最後のパウロのことばを送ります。互いに相手を自分よりも優れた者と思いなさい。自分のほうが絶対正しいと思うのではなく、自分も間違いを犯す弱い人間であると考えることで、他者への愛を感じることができるからです。どうか、お幸せに!そして愛溢れる家庭、笑顔の絶えない家族でありますように祈ります。

 

9月26日 更新

 

丹後教会巻頭言記事                   2023820

 

「イエスと共に歩む」     

トマス頭島光神父

◆共に歩む

教皇フランシスコ様は、今年秋に世界代表司教会議(シノドス)の第16回通常総会を開催することを決定されました。テーマは「ともに歩む教会のため-交わり、参加、そして宣教-」です。皆さん、このシノドスという言葉から、何を思い起こしますか。教会は、この言葉から「より深い交わり、十全なる参加、そして世界におけるわたしたちの宣教」を訴えているのです。この壮大なテーマを実現していくために、今、バチカンは全世界の教会の皆さんと共に新しい歩みを始めようとしているのです。わたしたち丹後教会は、いかに受け止めるべきでしょうか。

 

◆シノダリティとは?

そもそも「シノドス」は、教会が古代の昔から使ってきた言葉であり、その意味は<神の民が共に歩む道>のことです。それと同時に「道であり、真理であり、いのちである」(ヨハネ 146)イエスご自身に従うことです。私たちキリスト者は、みな主イエスと共に歩む道を見出すよう求められています。従って、シノダリティとは、神の福音をのべ伝え、聖霊の力のうちに、主イエスと共に歩むことです。わたしたち一人ひとりは、神から呼び集められた者です。ですから、この信仰の旅を続けながら、共に教会に集い、神の民として福音を生き、他者に向かって神のみことばをのべ伝えるのです。

 

◆他者との交わり

このように、シノダリティは神の民全体が聖霊の導きのままに、神のみことばに耳を傾け、福音の歩みを進めていくことですが、このことを可能にするには、まず神の民は、<他者との深い交わり>に入っていく必要があります。つまり、福音は、すでに私たちの間に生み出され実りました。それで終わりではなく、その実が、他者との交わりの中にも花咲くことです。福音を知らない人々の間に、私たちが交わり、関わっていくことで、みことばの花を咲かせるのです。こうして、一人でもみ言葉を知らない人々が教会の交わりに参加し、福音の実りを増し加えるためなのです。

 

◆参加から宣教へ

 今回のシノドスのテーマは<交わり、参加、そして宣教>です。これは、教会の本質的使命が宣教にあることを指しています。この神の御業である宣教を果たすため、わたしたちキリスト者がいかに他者と交わるか。また、いかに積極的に世界と関わるかが問われています。もし、私たちが貧しい者を助け、これと連帯し、そのための協力を惜しまないと望むなら、教会は宣教の使命を全うすることになるでしょう。だから、まず交わるべきは貧しい者たちです。彼らと関わり、交わって、共に参加して行動を起こすことが新たな福音化へとつながるのです。このことを決して蔑ろにしてはなりません。

 

◆シノドスの祈り

このシノダリティの実現のために、私たちは祈っています。祈りのうちにも、神のみことばに耳を傾け、現代世界をよく分析、そして識別して、何が足りないのか、また何を必要としているのか。しっかりと見定め、他者と親密に対話し、互いに理解し合うことです。正しい判断と識別の力をもってすれば、神のみ旨を実現していくことができるでしょう。こうして、必ず私たちは一致して真理と正義の道を迷わず進むことになるでしょう。貧しい人々と共に歩むために、福音の道を見出し、聖霊の導きのままに、一歩でも前に踏み出すことができますように、祈りましょう。