12月19日 更新

 

(読書感想)有島武郎 童話 燕と王子      岩永博史      

  

 この童話は、オスカー・ワイルドの「幸福な王子」の翻案である。キリスト教の「隣人愛と自己犠牲」の精神がさらに強く描かれている。

 病気で夭折した王子を悲しんで、王さまと王妃は、金と宝石で出来た王子の像を町の広場に建てる。ある日、一羽の燕が旅の途中この像の上で休んでいると、王子が、「貧しい暮らしをしている町の人たちに、自分の体に張り付けてある金板を剥がして届けるように」と頼む。燕は言われた通り金板を貧しい人たちに届ける。それは毎日のことだった。王子の像は、金板が剥がれていくに従って、無残な像に変わっていく。しかし王子は、貧しい人々が喜んでくれのが唯一の楽しみだった。

 あるとき、若いカップルが結婚するのに、どうしても宝石が必要だが、自分たちにはそんなものは用意できないと嘆いていた。王子はそれを聞いて、この婚約者たちに、オパールが埋め込まれている自分の目を二人のために与えるのである。婚約者たちは喜んで数日後にめでたく結婚式を挙げる。しかし目の見えなくなった王子の像はその楽し気な姿を見ることが出来ない。燕はそんな王子のために、結婚式の様子を詳細に伝えるのである。目も見えなくなり、体もボロボロになった王子の像は、やがて町の人たちによって取り壊される。そしてその像は溶かされて、教会の鐘になるのである。

 誰にも知られず、淋しく死んでいった王子の像であるが、その行いは神さまと燕だけが知っていた。

 

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12月9日 更新

 

(創作童話)雪だるま食堂は大忙し          岩永博史

 

 冬がやってくると、町中の人たちが雪だるま食堂に電話をかけてきます。それも大雪の日なんか特に忙しくなります。

1メートルも雪が積もるとみんなスーパーにも行けないので、すぐに料理を届けてくれる雪だるま食堂が便利なのです。さっそく電話がかかってきました。

「すみませんが、トンコツラーメン2つとギョーザ2つお願いします」

「わかりました。すぐにお届けします」

 ホカホカの料理をケースにいれて、配達係りの雪だるまが、スキーをはいて出発します。

 雪で埋まった道路もすいすいとすべって、目的の家へ向かいます。

 「こんばんは」

 玄関のベルが鳴ってドアを開けると、雪だるまが料理を持ってきました。

「いつもありがとう」

 お金をもらって、雪だるまはまたスキーで帰って行きます。

 それからすぐに、次の仕事です。

「すみません。鍋焼きうどん3つとワンタン鍋2つお願いします」

「はい、すぐに持っていきます」

 次の家は、マンションでした。

 雪だるまは、さっそく出かけて行きます。

 マンションにやってくると、スキーを取りはずして、エレベーターに乗って5階の部屋へ行きます。玄関のベルを押して、

「雪だるま食堂です。ご注文の料理を持ってきました」

 「ごくろうさん、ありがとう」

 お金をもらって、またエレベーターで降りて行きます。

 しばらくすると、お店から携帯がかかってきました。

「大急ぎで、帰ってきてくれ」

 雪だるまがお店に戻ってくると、店長が、

「次は、山の別荘からだ。お寿司とお刺身十六人前と、オードブル5つだ」

 コックさんが足りなくなってくるとみんな庭に出て、雪だるまのコックさんを作って補充します。

 山の別荘へはスキーでは無理なので、スノーモービルを使って出かけます。

 雪でいっぱい積もった山道を、エンジンを全開にして登って行きます。

 グウーン、グウーン、グウーーン、グウーン、グウーン、グウーーン・・・

 行く手に別荘が見えてきました。

 玄関のベルを押して、

「こんばんは。お料理持ってきました」

「いやあ、遠い所からどうもありがとう。うまそうだ」

 お金をもらって、また山を下りて行きます。

 そのうちに雪もまた降りだしてきました。

 お店に戻ってくると、今度は、海辺の家からです。

「かつ丼3つに親子丼2つだ。たのむよ」

 今度もまた、スノーモービルに乗って配達します。

 途中で、道を間違えたりすることもありますが、平気、平気。

 そうやって冬の間中、忙しいのです。

 雪だるま食堂が、一番大活躍するのは、大雪で道路が渋滞する時です。

 何キロも車が立ち往生して、みんな家に帰れないので、お腹がぺこぺこです。そんなときは、雪だるま食堂にすごい注文が舞い込みます。

 こんなときのために、雪だるま食堂では、いつも食材をたくさん準備しているので慌てなくても大丈夫なのです。

 たくさんの注文を受けると、配達員の数も増やして、みんなスキーで運びます。渋滞して動けなくなった車の脇をすいすい通って行きます。

「お待たせしました。持ってきました」

 すっかりお腹をすかせていたドライバーたちは、みんなにこにこと食べます。

 大雪の時は、こんなに注文がさっとうするのです。

 店長も、

「これだったら、全国にチェーン店を作りたいな」

といつも言っています。

 雪だるま食堂は、こんな風にたいへん便利でたくさんの人に役立っているのです。でも、営業は冬だけなので、春になるとお店は閉まってしまいます。

 

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12月1日 更新

 

(読書感想)「春は馬車に乗って」 横光利一   

岩永博史

 

 大正から昭和のはじめにかけて活躍した新感覚派と呼ばれる文学を確立した横光利一の小説「春は馬車に乗って」を読んだので感想を書いてみる。30ペ-ジの短篇小説。

 この小説を読むまではきっと児童文学(又は少年少女文学)だろうと思っていたが、実際は肺病で死を待っている妻を介護している小説家の話だった。海辺の家が舞台で、二人の会話だけで話が進んでいく。床に伏せている妻は夫にいろいろと小言をいったりするが、すべては病気のせいなのだ。季節は冬で、毎日冷たい風が吹いている。夫は妻が好物の臓物を買いに行ったり、海の幸を買ってきて食べさせるが、病は治らず、医者も「奥さんはもう駄目だ」と、とうに見放している。妻の希望で聖書を読んでやったりするが助かる見込みもない。

 ある日妻は「私が死んだら自分の骨はどこに埋めてくれるのか」と聞いたりする。作品を読みながらこの憂鬱な小説のラストはどんな終わり方をするのだろうかといろいろ考えてみた。小説のタイトルは「春は馬車に乗って」という明るいものである。治らない病気が奇跡的に回復して二人で馬車に乗って春の野原を走って行くのだろうか。それとも、妻が夢の中で馬車に乗っている夢を見て終わるのかとも考えた。けれどもこの小説のラストはそれよりももっと印象的な終わり方だった。

 ある日遠い所に住んでいる知人からスイートピーの花が送られてくる。南の方ではもう春が来ているのだ。花は馬車に揺られてやってきたのである。夫はすっかり弱り切った妻にその花を手渡すと妻は両手でスイートピーの花を胸にしっかり押し当てて喜びの中で息を引き取る。妻は「私が死んだら私の骨は花の中に埋めて下さい」といってるように。ラストがとても印象的な小説である。

 

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11月21日 更新

 

(読書感想)二十六の十字架  谷真介著  女子パウロ会発行

岩永博史

 

 この本も非常に印象に残った。豊臣秀吉が天下を治めていた時代、外国人宣教師を含む二十六人のキリシタンを処刑した事件を描いた作品。最初、秀吉はキリシタンに好意的な態度を示していたが、「南蛮の国がキリシタンを送るのは、その国を奪う野心があるからだ」という妄想と、元来統治欲と征服欲が強く、朝鮮とシナ(中国)へも兵を送る準備をしていた。

 そのような時期に、積み荷を満載したスペインのガリオン船が土佐の浦戸に流れ着いた。嵐にあって漂流していたのだ。これを知った秀吉は、その船の積み荷を奪うことを企んだ。ガリオン船の船長は激しく抗議するが、受け入れられず、船員はすべて捕らえられる。その船には修道士も乗っており、船長は修道士を連れて、この国で布教していたバウチスタ神父に相談に行く。神父は、「よくわかりました。船に積んである財産のことや、船の修理のことなど、すべて王(秀吉のこと)に頼んでみましょう」と答える。

 バウチスタ神父は、日本へ来るとき、秀吉から「日本へやってくるスペイン人たちに、なんの危害をも加えてはならない」という捺印状を渡されていたからです。しかし、気変わりの早い秀吉はこれを拒否し、キリシタンであるバウチスタ神父と宣教師を捕えて監禁してしまう。さらにバウチスタ神父の教会の熱心な信者も監禁する。その中には小さな子供までいた。秀吉は信仰を捨てなければ処刑すると脅す。しかし神父も信者たちも決して信仰は捨てないと答える。秀吉は見せしめとして冬の時期に、大阪から長崎の処刑場まで神父と信者たちを歩かせる。その旅はまったく過酷なものだった。処刑は十字架に架けられたあと両脇を槍で突く残忍なものだった。

 この本の中で特に印象に残った個所は、バウチスタ神父の信仰の強い献身ぶりだった。あるとき神父たちが親や兄弟たちからも見放されたライ病患者を病院に収容し、神の愛と祝福で全治するように、うみの出ているその傷口にさえ口づけをし、汚れたものを喜んで洗濯するのである。これを見た町の人たちは、「うみの出ている傷口に口づけなどせず、洗ってやるだけで十分ではないか。汚らしい」それを聞いてバウチスタ神父は次のように答える。

「私はまだ自分が気味悪く思い、臭気を嫌がっています。ですからそれに口づけをし、自分をもっと苦しめなけらばいけないのです。日本人はキリスト教が富と美しい着物とよい食事、つまり恵まれた地位の高い人たちのためにのみあるものだと考えているようですが、真のキリスト教とはどのようなものなのかを知らせる必要があるのです」

 自分たちの欲望やみえなどを捨てたこうした献身的なバウチスタ神父の言葉が強く心に残った。

 

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11月11日 更新

 

(連載童話)山の向こうから来た男 第3回

岩永博史

 

 ある日教会で仕事をしていると、外でノコギリで板を切ったり、金槌で釘を打ち付けている音がした。外へ出てみると、葬儀屋が棺桶を作っていた。

 昼になって神父がやって来たので聞いてみると、明日お葬式のミサをするのだといった。

「信者さんが亡くなりました。仕事にも信仰にも熱心な方でした」

「そんな人だったら文句なく天国にいけますね」

 ところが神父は、

「すべての人はみんな死んでから神の裁きの前に立たされます」

「善い人もですか」

「そうです。善い人も悪い人もです。私たちは罪を持ったまま天国へは行けません。神はその人の生涯をすべて見ておられます。裁きによって行くところが違います」

 翌日、教会でお葬式のミサが行われた。司祭は死んだ人が天国へ行けるように心を込めて神に祈った。信者の人も同じように祈った。

 お葬式が終わった次の日に、男は広い野原へ散歩に行った。

 遠くに山が見え、野原には花がたくさん咲いていた。畑でお百姓が働いていた。ちょうどメロンがとれ頃だったので、お百姓は通りすがりの男にメロンをひとつ与えた。

「ありがとう。この先にはなにがありますか」

 男が尋ねると、

「この先には病院があります、身体の不自由な人がたくさん暮らしています。メロンがたくさんできるといつも病院へ持っていきます」

 男はお百姓からこの村では身体が不自由な人に対しては特別の待遇が保証されていることを聞いた。また身体が不自由な人が亡くなったときは、子供と同様に無条件で天国へ行けることも知った。

 お百姓と別れて道を歩いて行くと、向こうに病院が見えて来た。村のどの建物よりもりっぱなので男は大変驚いた。

 門が開いていたので、敷地の中へ入って行った。入ってから先ず気づいたことは、周囲が和やかで空気がとても美味しいことだった。庭には果物や花がたくさん咲いていた。鳥や動物が歩いている。庭のあちこちにベンチがあり、身体の不自由な人たちが座って話をしていた。

 でも看護師も付添人も誰も男は入ってきても文句さえ言わなかった。

 男はこの庭を見て、古典の絵画に描かれたアダムとイブが暮らしていた楽園を思い出した。ここはまるでエデンの園のようなのだ。男は広い庭の小道をあちこち歩き回った。

 ひとりの白衣を着た年配の人がいたので声をかけてみた。

「ここはりっぱな病院ですね」

「はじめて来られる方ですね」

「数か月前に、山の向こうから来ました」

 その人は病院長だった。男はこの施設のことをいろいろと教えてもらった。病院長は親切に話してくれた。

「この施設は、本人自身がどうすることも出来ない身体の欠陥のために介護を受ける所です。世の中にはこれらの人を嘲笑したり、それがその人の罪であるかのような間違った考え方をする人がいますが、この村ではそういう考え方をする人は皆から嫌われます。それは人間として最大の不名誉なこととされるからです。それによって心が汚れて、人格が崩れるためです。

神は人間を善人として造られました。しかし人間は神に背いて罪を犯すようになりました。

神がこの人たちをこの世に送ったのは人間を正すためです。この人たちを助け救うことによって自分たちも救われるためです」

 男は話を聞いて了解した。そして自分の村へ帰って行った。

 男は翌日から教会へ行っていつもの聖書の修復の仕事に励んだ。

ときどき神父がやって来て仕事はどのくらい進んでいるか聞きに来た。

「まだ、半分も終わっていません」

「ゆっくりやりなさい。あなたに頼んでよかった」

 男は一日の仕事を終えると、家に帰って聖書の御言葉を毎日口ずさんだ。

 

あなた自身の井戸から水を汲み、

あなた自身の泉から湧く水を飲め。

 

知恵ある者と共に歩けば知恵を得、

愚か者と交われば災いにあう。

 

忍耐によって英知は加わる、

短気な者はますます無知になる。

 

神に逆らう者は追う者もないのに逃げる、

神に従う人は若獅子のように自信がある。

 

正しい人を悪の道に迷いこませる者は、

自分の掘った穴に落ちる。

 

罪を耕す者は必ず迷う、

善を耕す人は慈しみとまことを得る。

 

神に従う人の家には多くの蓄えがある、

神に逆らう者は収穫のときにも煩いがある。

 

あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば暗い。だからあなたの中にある光が消えていないか調べなさい。

 

 数年が経った。ようやく聖書の修復の仕事がすべて終わったある日、男の心にこんな考えが浮かんだ。

「そうだ。この村の生き方を、ほかの村にも広げよう」

 ある日、男は神父に旅に出ることを告げた。

「伝道師としていろんな土地を回ってみます。そして神の御言葉を伝えます」

 神父は引き止めなかった。

 男は聖書を一冊携えると、ある朝この村から出て行った。(完)

 

 

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11月5日 更新

 

(連載童話)山の向こうから来た男 第2回 

岩永博史

 

 翌日から、男は教会へやって来てさっそく仕事に取り掛かった。

 最初は聖書の修復からはじめた。神父がいったようにずいぶん傷んでいた。汚れて読みにくいページと抜け落ちたページは、新しい紙に書き写して追加した。信者がよく目に通すところは大体が汚れていた。

 旧約聖書は膨大な書物だった。創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、ヨシュア記、サムエル記、列王記、ヨブ記、詩編、箴言、コヘレトの言葉、雅歌、イザヤ書、エレミア書、エゼキエル書、ダニエル書、アモス書、ミカ書、ゼカリヤ書、マラキ書などよく読まれるのでずいぶん追加した。新約聖書はそれ以上に読まれるのでほとんど新しいページを追加した。

 それだから修復しながらほとんどの神の御言葉を覚えてしまった。

 詩編や雅歌も汚れていたので追加した。「雅歌」には(おとめの歌)、(若者の歌)などソロモン王が作ったとされる美しい恋愛詩がたくさんあるのに驚いた。

 聖歌集も同じように修復した。よく歌われる聖歌はほとんど汚れていたので新しい紙に書き写して追加した。楽譜もすべて手書きしたので旋律も自然に覚えてしまった。

 毎日、男は教会へやってきてその仕事に取り組んだ。男が一日の仕事を終えて家に帰ってくると、いつものように夕食が玄関の前に置いてあった。それに預けておいた洗濯物も置いてあるのだ。 

 ある時、仕事を終えて帰ってくると、庭の雑草がきれいに刈り取られていた。だれが刈ってくれたのか分からないが庭がきれいになってありがたいと思った。

 ある日のこと、聖堂の中で仕事をしていると、絵具箱を持った白髪の年配の男が入ってきた。

「ご苦労さん、はじめて見る人だね」

「こんにちは、はじめまして」

 その人は、聖堂に飾ってある(十字架の道行き)の14枚の絵を降ろして、修復をはじめた。

「神父さんに頼まれたのです。本職は風景画家です」

 そういってその人は油絵具をパレットに拡げて筆とナイフを使って絵の修復をはじめた。汚れのひどい所は薬品を布に沁み込ませて丁寧にふき取っていた。

「これらの絵は二百年前に描かれたもので、ときどき修復しないといけないのです」

 その絵描きも毎日のように教会へやってきて絵の修復をやっていた。お昼になると村の人が来て二人にお弁当を届けた。

 お弁当を食べながらその人はいろいろな話をしてくれた。

「私は、あなたと同じように昔、山の向こうからこの村へやってきました。世界の方々を旅して絵を描いて暮らしていました。この村へ来る前は、自分の絵がよく売れるので常に自分の才能を自慢していましたが、この教会の神父さんの話を聞いてずいぶん反省させられました。それは人間に備わった才能や知識はすべて神から与えられていると教えられたからです。自分の才能が他人よりもいくら優れているからといって神が満足してくれなければその義務を果たしたとはいえません」

 絵描きはまた次のような話もしてくれた。

「この十字架の道行きの絵は、福音書に書かれているイエスの受難の絵です。イエスは我々人間の罪をすべて背負って十字架に掛けられて処刑されました。しかしイエスは最後まで人間を愛されました。イエスは自分を処刑する人たちに向かって、「神よ、どうかこの人たちをお赦し下さい。彼らは自分たちが何をしているのかわからないのです」

と十字架の激しい苦しみの中で言われました。イエスは死ぬ間際まで私たち人間を愛してくれていたのです。

 男は絵描きの話を聞きながら、聖書に書かれている人間の罪について真剣に考えるようになった。

 男は毎週日曜日に教会のミサに行き、神父の話を聞きながら午後は、村のいろんな場所へ散歩に行った。

 ある日のこと、村の広場に行くと、中央に聖水の池と呼ばれる場所があった。聖水は教会から毎日運んで来た。

村人たちはよくこの池の水で身体を洗った。この池の水で身体を洗うと、悪霊を追い払うことが出来るからだった。

 人間の悩みや悪は外から来るのではなく、人間の内から来ると聖書に書かれている。この池の聖水で身体を洗い、そして神に祈ることによって悩みや悪を追い払い、心がすべて洗い清められるからだった。

 男もこの池にやって来てたびたび身体を洗った。でも最初の頃は自分が池に入ると、聖水が黒く濁るので困った。でも、毎日の生活を改め、神に祈る習慣を持つと、濁りもしだいに無くなっていった。

善人ぶったり、企てをしたり、人を追い払ったり、そんな愚かなことが頭に浮かんで来るときは、この池の水で身体を洗った。すると心は落ち着き、夜はぐっすりと眠れ、仕事も苦痛にならずに楽しくなるのだった。(つづく)

 

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10月28日 更新

 

(連載童話)山の向こうから来た男 第1回

岩永博史

 

 山の向こうからその男はやって来た。村に着いたとき、男は腹を減らしていたので、村人は食べ物を与えた。男は村に来るまでは、水ばかりを飲んで飢えを凌いでいた。久しぶりに食べた食事によって元気になった。

 男は荷物を何ひとつ持っていなかった。どこかで無くしたり、追剥に取られたり、乞食同然の身なりをしていた。

 村人は、男のために家を貸してくれた。古い家だったが十分に住むことができた。男は雨の日も風の日もその家で安心して暮らすことができた。

 不思議なことに、毎日、家の戸口に食べ物が置いてあった。朝だけではなかった。お昼にも夕方にもきちんと食べ物が置いてあるのだ。

週に一度、近所の人が洗濯物を取りにやってきた。そしてきれいに洗った洗濯物を届けてくれた。だから男は何もすることがなかった。

「どうしてだろう。よそ者の私になぜ親切なのだろう。自分はこれまでこんな経験をしたことがない」

 男はもうひとつ不思議なことに気づいた。それはこの村の人たちが口数が少なく、人の悪口も嫌味も話さないことだった。

 外へ散歩に出て村人に出会っても、あいさつするだけでみんな素通りしてしまう。大人も子供もみんなそうだった。

村人は毎朝畑に出て農作業をしたり、家の中で大工のような仕事をしていた。だからいつも村の中は仕事の音が聞こえた。

 ひと月が経った。男は毎日家の中でぶらぶらしていたが、そんな生活にだんだん嫌気がさしてきた。

「いまの暮らしはとても満足だけど、貰ってばかりではいけない。私も働こう」

 あくる日、男は家を出て仕事を捜しに出かけた。いろいろ回ったが誰も仕事をくれなかった。

「人は足りています。他を当たってください」

 別の所へ行っても、

「人はいりません。他を回ってください」

 男はどうしようもなく家に帰ってきた。こんなに仕事を見つけることが難しいとはそれまで思ってもみなかった。 

 ある日、食事を持ってきた近所の奥さんに尋ねてみた。

「私も働きたいのです。どこへ行けばみつかりますか」

 奥さんは、

「それなら教会へ行きなさい。神父さんが相談にのってくれます」 

 村にはりっぱな教会があり、日曜日になると村人はみんなミサに預かりに行った。男も教会へ行ってみた。神父が説教をしていた。

「みなさん、聖書の中にこんな話があります。律法学者のひとりがイエスの前に進み出て、聖書の中で一番大切な教えは何ですかとイエスに尋ねたとき、イエスは、心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくし、神である主を心から愛しないさい。そしてまた隣人を自分のように愛しなさい。聖書の中でこれらが最も大切な教えだと言われました。あなたたちは神を愛し、困っている人や貧しい人たちに施しをすることよって永遠の命が与えられ天国へ行けるのです。それらの行いは天に富を積むことになります」

 神父の説教はとても印象に残った。

「そうだったのか。この村の人たちは神の教えを忠実に守っているのだ。だからよそ者の私にも親切なのだ」

 男は疑問がすっかり分かって安心したのだが、仕事のことがまだ解決していなかった。

 翌日、男は教会の神父に会いに行った。

 神父は男の頼みごとを聞いて仕事を捜してくれた。

「あなたに向いているかどうかわかりませんが次の仕事をお願いします」

神父はそういって、男を教会の聖堂に案内して後ろに置いてある書棚の前に連れて行った。

「ここに入っている聖書と聖歌集は昔から信者が使っています。そのせいかずいぶん傷んでいます。汚れたり、擦り切れたり、抜け落ちたページもあります。あなたにこれらの修復をお願いしたいのです。時間がかかる作業になりますがこの仕事をお願いします」

 男は神父から仕事をもらったので引き受けることにした。(つづく)

 

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10月20日 更新

 

(読書感想)フランシスコ・ザビエル  谷真介著 女子パウロ会発行

                               岩永博史

 

 この本の中で、はじめてザビエルが東洋伝道の途中で日本人に会い、ほかの東洋人とは違う印象を持ったことが日本へ来る一番の理由となったと書かれている。

 日本人は好奇心が強く、何でも質問するし、理解力もよい。大部分は読み書きができ、理屈っぽい。そんな国民なら神の教えをしっかりと聞いてくれるに違いない。

 日本人をそう理解して、苦労しながら希望の国日本へやって来たザビエルはさっそく布教を開始した。当時ザビエルは四十四歳。最初に鹿児島に上陸し、九州、山口、堺、京都へと伝道を続けていく。

 実際に日本へ来て見て、ザビエルが感じた日本人の実像は次のように報告されている。

「日本人は、全体的によい素質を持ち、悪意がなくて、感じよく交際できる国民です。名誉心はとくべつ強くて、なににもましてそれを重んじる国民です。日本人は一般に貧しい生活をしているが、武士であっても貧乏というものをはずかしく思う人はいません。ですからどんなに財産を積まれようと、武士は平民のお金持ちとは絶対に結婚などしません。また日本人は礼儀というものを大切にしています。それから賭け事は不名誉なこととされています。賭け事は自分のものでないものを盗み、つぎには盗人になる恐れがあるからです。この国では「ぬすみ」ということがもっとも悪いこととされ、それをみんなが憎んでいます

 このような国民なので、ザビエルが神の掟(十戒)を伝えたときも、全部ではなく(その一部に共感)し、入信する人たちも多かった。庶民はそうだったが、領主の多くはザビエルが持ってきた外国の珍しい品物を見てザビエルを貿易のために利用する目的で布教を許していたのだ。しかし、ザビエルにはそのような意図はまったくなく、ただ神の教えを宣べ伝えるだけの目的で日本へやって来たことがわかり布教を禁止した。

 ザビエルの日本での布教はわずかに二年二カ月だったが、死ぬ間際まで日本については、「日本へいって日本人ほどキリスト教に対して深い愛好を示した国民はないと思いました。全アジアに日本人よりよい国民はないと思いました」と語っている。

 またこの本の中でザビエルの容姿や人柄なども興味深く書かれている。

「師は、身長は低いというよりもむしろ高く、容貌は端正でした。顔色は白く、やや赤みをおびて明るく、たいへん魅力的でした。目は黒く、ひたいはひろく、髪の毛も口ひげも真っ黒でした。そして着古した神父服をまとっていましたが、それはいつ見ても清潔なものでした。歩くときには、手を胸のあたりをもちあげ、その顔はいつも神々しい微笑をたたえていました。決して大きな声をたててわらうことはありませんでした。そしていつももの思いにふけっているようでした。世の中のことはあまりなやまず、目はいつも天を見つめていました。師は外国人に対して非常に慈悲深く、ことにけんそんする人や、身分の低い人たちに対しては、ことのほかやさしく心をひらきました、また師は、病人たちにはことのほか親切で、とくに身を入れてつくしていました。人びとはみな師を尊敬し、いそがしい師をよくたずねていました」

 このザビエル像は、当時ゴアの学校で伝道師としての勉強をしていたマヌエル・ティセイラという十六歳の学生が、ザビエルの印象を書き残したものである。

 

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10月14日 更新

 

(創作童話)病気がなおった王さま          岩永博史

 

 王さまは重い病気になりました。

おなかが痛いとか、足が痛いとか、歯が痛いとかではなく心の病気でした。若い頃は外に出たり、いろんな人にあって健康そのものでしたが、年を重ねるにつれて外へ出ることもなく、お城に閉じこもってばかりで、頭の中で夢ばかり追っていました。

 あるときそんな王さまに悪霊がとりつきました。悪霊は退屈している人や暇そうに夢ばかり追ってる人が大好きです。

 悪霊は王さまに語り掛けました。

「隣国が、この国を狙っています。早急に兵隊を増員して守らなければいけません」

 王さまはそれは大変だとばかりに、国中から人を呼び集め、国境の周りを固めました。でも国民は納得できませんでした。この国と隣国は昔から大変仲が良く、この国を狙うはずがないからです。でも王さまの命令ですからどうすることもできません。

 あるとき悪霊が王さまにいいました。

「先手必勝です。兵隊をすぐ隣国へ派遣しなさい。そうしないと先にやられます」

 王さまはそれは大変だとばかりに国境の司令官に隣国へ兵隊を出すように命じました。

 司令官の命令で、兵隊たちは隣国へ攻め込みました。ところが隣国の住民たちは、そんなことなど知らず、仲の良い隣国の兵隊たちが久しぶりにあいさつにきたと思って、家に招いて、お茶を出したり、お菓子を出したりしました。 

 けれどもどうも様子が変なので、「これは隣国が国境を越えて攻めてきたのだ」と思って、武器を取って応戦しました。

 どの町でもそんな様子でしたから、この国の王さまにも通達されました。王さまも理由がわからず、本格的に兵隊を出して戦うか迷っていました。

  これらのニューズは戦争を仕掛けた国の国民にも知らされました。

  ある日、そのニュースを聞いたある教会の司祭が、

「王さまは悪霊にとりつかれている」と判断しました。

 この司祭は、医学の知識もあり、これまで悪霊にとりつかれた人をたくさん治療したことがあったからです。

「私が王さまの病気を治してあげよう」

  さっそく王さまのいるお城へ行って、王さまに面会することにしました。召使に連れられて、王さまの部屋へ行くと、王さまは青い顔をしてうわごとをいったりしてベッドで休んでいました。

  司祭はすぐにそばに行って、悪霊を追い払うために、何度もお祈りをはじめました。

 しばらくすると王さまの様子が変わってきました。顔色がよくなり、うわごともなくなりました。最後の祈りが終わるころには、悪霊がすっかり部屋から出ていきました。

「私は何をしていたのだ。誰か教えてくれ」

  召使たちは、王さまの命令でこの国の兵隊が隣国へ攻めていったことをはなしました。王さまは驚いて、すぐに隣国へ攻め込んだ兵隊を退却させました。

  それからは前のように両国は仲良くなりました。 

 

 

「信者のコーナー」について

 

西舞鶴教会の信者の皆さんからの原稿を募集しています。エッセイ、コラム、旅行記、読書感想、創作(詩、俳句、短歌、その他)など自由です。またオリジナル写真、絵画などもOKです。字数の制限はありません。どしどし送って下さい。作品はこのコーナーで紹介します。原稿はワードを使い(縦書き、横書きは自由)、タイトル、作者名を忘れずに記載し、下記メール宛てお送りください。直接担当者(岩永)に提出して頂いてもいいです。(原稿は手書きでも構いません)

 

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10月7日 更新

 

(読書感想)遠藤周作「沈黙」       岩永博史          

 

 この小説の前半は、徳川時代のキリシタン迫害の厳しかった日本へ、ポルトガルから船でやって来た司祭の書簡から成り立っている。当時ヨーロッパではすでにキリシタン弾圧が厳しい日本の情報が広く伝わっていたことに先ず驚かされる。そんな中で二人の司祭が命がけでこの国へ布教しにやって来たのだ。捕えられれば当然監禁されて、棄教をしなければ処刑される運命にあった。幸運にも日本へ上陸し、隠れキリシタンにかくまわれて司祭としての仕事を行うが、密告者によって始終身を隠さなければならない。信者ではあるが頼りにならないある信者の密告によって二人の司祭は幕府の役人に捕らえられる。踏絵を踏むことを強要され、踏まなければ当然殺される。ひとりの司祭は踏むことを拒み、役人によって海で水死させられる。もうひとりの司祭は、仲間の信者を助けるために踏絵を踏んでしまう。司祭は思う、「どうしてわれわれ信者がこんなに苦しみ喘いでいるのに神は黙ったままでなにも言葉をかけてくれない」

 私がこの小説を読んでこの言葉が一番印象に残った。踏絵を踏み(キリストを裏切った司祭)には当然、更なる悲劇が待ち受けていた。水死させられた司祭よりもそれはまった過酷な運命だった。よい家を与えられ、役人によって保護されるが、役人たちによって利用され続けるのである。語学力と教養がある司祭は、外国人たちの通訳をさせられたり、隠れキリシタンたちにイエスの教えを捨てるように強要させられる。このような恐ろべき仕事がこの司祭には待っていたのだ。司祭はいろいろと踏絵を踏んだ自分の行為について語りつづけるが、それらは自分を弁護するための言い訳に過ぎないように思う。役人によって捕らえられ、拷問される個所が、イエスの受難のシーンとも重なり合い、技巧的で読んでいてとても引き付けられる小説だった。 

 


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